ディンクと言うところ(その3完結編)

ディンク株式会社

072-948-8298

〒581-0039 大阪府八尾市太田新町6丁目98番地

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ディンクと言うところ(その3完結編)

スタッフブログ

2019/09/04 ディンクと言うところ(その3完結編)

 

こんにちは!戦国武将です。

今週は又、夏らしい暑い日が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか?

あと少しで秋がやって参ります。もうもうひと踏ん張り頑張りましょう!

前回、前々回と1615年5月6日と7日の当社ディンク付近でのお話をさせて頂きましたがそのあとどうなったか?興味ありませんか?

 

その後、5月7日から8日にかけての大坂夏の陣のお話を致します。

所でなぜ豊臣軍は籠城せずに突撃へと打って出たのでしょうか?

大坂城は当時、10万人の兵士を収容でき、数年の食料も備わっていたと

言われておりました。城攻めは大変難しく攻略するのに3倍の

兵力が必要と言われております。

実は前年の冬の陣後、豊臣方と徳川方の協議により城の外堀は徳川方が、

内堀は豊臣方が埋めるという約束を行いました。まさか又、戦争が起こるとは

豊臣方はおもわなかったのでしょうね。家康は豊臣家を完全に滅ぼすつもりでしたが。。。。

結局、どちらの堀も徳川方が恐ろしいほどのスピードで埋め尽くし、

大坂城は丸裸になってしまいました。突撃に打って出るしかなかったのです。

7日に真田幸村や重たる豊臣方の武将が亡くなりましたので結果は想像通りです。

その後、茶臼山から大坂城目掛け大砲を打ち込んだそうです。当時は精度が良くなく余り当たらなかったようですが、爆発音の効果で豊臣方の特に女中陣が

大変驚いたそうです。

7日の夜中になると徳川方が大坂城になだれ込みこの時に家康の養女として

秀頼に輿入れをした千姫を救出したそうです。

千姫は家康に秀頼、淀殿の助命の嘆願をしましたが聞き入れられませんでした。

 

最後は秀頼、淀殿、を筆頭に(真田幸村の長男大助や毛利勝永も入っていたそうです。)数十人で米蔵に逃げ込み、徳川勢が囲む前に自ら火をつけ、自害したとの事です。悲しい顛末ですね。

大阪を愛する戦国武将でした。

 

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ディンク株式会社

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